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※死ネタです。
両想いのエジカイで、もしもお館様が病か何かで先立ってしまったら、という妄想の産物。
未亡人カインが書きたかっただけの話です。死ネタ苦手な方は回避をお願い致します。
よろしければ、どうぞ↓
エブラーナ復興の立役者たる国王陛下が、世継ぎを遺す事もなく鬼籍に入ったのは、同国が二度の大戦から立ち直って発展の道のりを歩み始めた矢先の事であった。
それは急な病で、彼の国の民のみならず全世界の友人知人が真っ青になって手を尽くしたのだけれど、まるでオリフィスの径を大きく作りすぎてしまった砂時計かのように彼の命は零れ落ちて、取り留めることは誰の手にも叶わなかった。
次第に悲愴な顔つきになっていく周囲に反して、ただ、彼本人だけが、いつもと全く同じ笑顔を浮かべ続けていて。周りから次々と持ち込まれる『治療法』に文句を言わず端から挑んでは、何の効果も得られぬ事に「悪いなァ」と肩を竦める。
そんな日々を過ごしながら、己が亡き後に国をどうするか、陰で着々と準備をしていた事を周囲が知るのは、彼がついに床に伏して身を起こせなくなった後の事になる。
思うに、彼が間際まで後継の話に触れられなかったのは、彼が居なくなるという現実を受け止めきれずにいる部下たちの心情に配慮したからであろう。彼が少しでも『後の事』を口に出せば、当人が既に生きる事を諦めてしまったのだという衝撃を与えると慮ったのだ。
実のところ彼は、誰よりも、最期まで諦めていなかった。伏せって動けなくなった後も、己が亡き国の行く末を語るのと同じくらい、否、それ以上の熱意でもって、己自身の手で創っていきたい国の未来を語っていた。
昔から、前向きで諦めの悪い男だった。
けれど歳月を経て、現実を直視して手を打つ冷静さも、併せ持つようになっていた。
まさに一国を背負い、世界を率いていくにふさわしい、器の大きい男だったのだ。
――あんなにも早く、逝って良い人物では、なかったのに。
あれから幾年も過ぎて、エブラーナは混乱を脱しつつある。
尤も、亡き『お館様』が詳細な遺言を書き記していた事と、何よりこの隙につけこもうなどと企む他国が皆無であったおかげで、同国の陥った事態は然程深刻なものではなかったのだけれど。それでも、鮮烈な求心力をもつ指導者を失った事は、彼の国にとっても世界にとってもやはり痛手だった。
我がバロンの国王たるセシル=ハーヴィは、長年の知己を亡くした哀しみを抱えながら、エブラーナと親交の深い国として支援を惜しまなかった。他国の人間が踏み込んではならぬ一線を弁えつつ、国主を失った彼らが国家としての体裁を守り、その将来が立ち行くようにと最大限の便宜を図ってきた。セシルの妃であるローザも、その子息であるセオドアも、哀しみを振り切るようにエブラーナの未来のためにと尽力していた。
バロンに限らず、生前のエブラーナ国王を知る者は、皆。彼のために、彼の愛した国を支えた。
人徳の成せる技としか言いようがありますまい、ファブールの国王が感嘆と溜息とともに呟いた言葉が、すべてを表していたと思う。
そういった事情でこの数年間多忙を極めていたセシルが、時折、物問いたげな目で、気遣わしげにこちらを見詰めていた事をカインは知っている。
その視線の意味する事も、過たず理解していた。
件のエブラーナ国王と己の間柄を承知している者は、この世界中を見渡しても片手で数えられるほどしか存在しない。その片手で数えられる友たちが、揃いもそろって、気遣わしげな眼差しを投げかけてくるのだ。察するなという方が無理な話だろう。
その目を受け止める度に、カインは薄く微笑む。
そしてそれだけでは、さらに気遣わしげな色を深める友人たちに苦笑して、歩み寄って静かにこう述べるのだ。
「……大丈夫だ。ちゃんと泣いてる」
そう言えば、友人たちは少し驚いた顔をして、それから微かに安堵の表情を浮かべる。そんな反応から、己が今までどれほど周囲に心労をかけてきたかを思い知らされてカインはほろ苦く口角を緩めた。
……まったく、未だに泣く事も出来ぬ不器用者だと思われているとは。
尤も、今は亡きあの男と過ごした日々が無かったとしたら、己はきっと今でも、涙を流すことを恥だと信ずる愚か者のままであっただろう。
飛空挺部隊長として一日の任務を終えた、夜。
自室の寝台の上で横になって目を閉ざすと、幾ばくも経たずして、真綿に包み込まれるように意識が沈む。
そして、今夜も枕元にふわりと腰掛けた影がこちらを見下ろして、穏やかに笑った気配を感じる。
静かに瞼を上げれば、月光を透かして輝く銀鼠色の髪。
煌めく双眸がこちらを捕えて、温かく細められる。
口元を覆う紫紺の布をぐいと片手で引き下げて、彼は大らかに口端を緩めた。
夢なのか、幻なのか、はたまた本物の霊魂なのか。
本当のところは何も分からないけれど、カインがこうしてこの男に逢うようになってから、既に数年が経っている。
初めて彼がここへ現れたのは、しめやかかつ盛大に行なわれた葬儀の晩。
もう逢えるはずのない男の姿に驚き、次いで、幻を見るほどに依りかかっていたのかと自嘲したカインに、男は困ったように苦笑して『わりーな』と詫びたのだ。
思いも寄らぬ第一声に一瞬呆気にとられてから、ああ、そうか、とカインは微笑んだ。
この男は、きっと。己のもとのみならず、世界中の知己の枕元に立って、早すぎる他界を詫びにきたのだろう。遺していく臣下に、国民に、仲間に、苦労をかけてすまないと。生きられなくてすまなかったと。だけどお前たちなら大丈夫だと、背中を押しにきたのだ。
そうやって、死してまで周りを勇気づけようとする、そういう男なのだ。
『……安らかに眠る、というわけにはいかんか。御苦労なことだな、お館様』
思わずそんな皮肉めいた台詞が口をついて出たのは、男の表情があまりにも生前と変わらなかったせいだろう。
男はカインの言葉にニヤリと口角を引き上げて、『おーよ、オメーみてーな危なっかしいヤツこのまま遺して眠れるかよ』と応えてみせた。
――それが、自分の望んだ応えを寄越してくれる、都合の良い夢なのか。
死して尚、優しすぎる男が、まだ己を案じて側に居てくれているのか。
分からぬままに、毎晩。ふわりとやってきては枕元に腰掛ける男と二言三言交わしながら眠りにつく日々を、もう幾年も続けている。
「あのよ、赤き翼の隊長さん」
「……何だ」
今日も、頭上から穏やかに降ってくる声に、夢と現の狭間をまどろみながらカインは応えた。
枕元の気配はいつも通り、明るく笑みながらこちらを見下ろしている。
「あと、残るはオメーだけなんだよな」
「…………」
「なあカイン、そろそろ俺を成仏させてくれねーか?」
ゆったりと、唇で弧を描きながら。
そう問うた男に、カインは数秒、口を噤んだ。
この男の死から、幾年も過ぎて。
計り知れぬ喪失感に途方に暮れていたであろうエブラーナの民も、もう、先王の支えを必要としなくなったという事か。
夜毎、慈愛に満ちた瞳に見下ろされ、大丈夫だ、と声を掛けられずとも、自らの脚で歩いていけるようになったという事か。
ああ、それは喜ばしいことだ。カインはフッと顔を綻ばせる。
あと残るは、お前だけ。
そう告げた男は、カインが独りでは生きていけないと案じているわけではないだろう。
むしろ、そう。カインが独りで生きていってしまう事をこそ、案じているのだ。
だから彼の謂うところの『成仏』を迎えさせてやるには……例えば、己が、彼以外の誰かを、愛すようになれば。
「……まだ、無理だな」
ぽつりと、静かに答えれば。
枕元の男は「そーかよ」と肩を竦めて、それなら仕方ないなとでも言うように柔らかく笑った。
頭上へ微笑み返しながら、カインはそっと、瞳を閉じた。
この先、命ついえるまで、彼以外の者を愛する気が無いなどとは言うつもりはない。
一生涯彼女しか愛せぬと思った心に、別の存在が根を下ろした瞬間を、自分は今でも覚えている。
この胸の内に、また他の誰かが住まうことになる日も、いつかは来るかもしれない。
――それでも。
単なる夢か、もしくは己の願望が創り出した幻か。
それとも現実にあの男の魂がそこに在るのか、定かではないけれど。
もし、もしも。そこに居るのが、本当にあの男ならば。
己のみっともない未練が、彼の姿を追い求めずにいられない脆弱さが、あの男を未だこの世に引き止めているというならば。
カインは初めて、自らの弱さに感謝する。
身勝手でも良い。我儘でも、醜くとも、己が世界で最も弱い存在なのだと矜持を投げ捨てて宣言することになるのだとしても――構わないから。
それで一瞬でも永く、エドワード・ジェラルダインという存在を、この世界に留めておけるのならば。